長編『返事は、港で』 第10章
二十六歳 ― 卵がゆるい
No.61
拓海へ
久しぶりに長い手紙を書きます。
先月、仕事を二週間休んだ。朝、会社の最寄り駅で電車を降りられなくなった。三回降りようとして、三回ともドアが閉まった。終点の高尾まで行って戻ってきて、それでもまた降りられなかった。
医者に休めと言われた。
本を作る仕事は、思ってたのとちょっと違った。本を作るより、売れる本を作るための会議のほうが多い。わたしが作りたかった本は、たぶん売れない。
あと、報告がもう一つある。
彼とは去年別れた。書いてなかったね。書くタイミングがなかった。
最近は夜ご飯を作る元気がない。コンビニの親子丼を食べてる。卵が固い。
拓海の親子丼が食べたい。
これはルールの一の「会いたくなったら手紙で言う」になるのかな。ならないか。親子丼が食べたいだけだから。
遥
*
No.62
遥へ
来週の水曜、店が休み。
恵比寿じゃなくて、うちで作る。三軒茶屋。住所は封筒の裏。
ルールの一は、親子丼のときは例外にする。
卵はゆるくする。
拓海
*
(遥の手帳。水曜日のページ)
三軒茶屋。
六畳。台所がせまい。コンロ一口。
親子丼。卵ゆるい。とろとろ。
食べてたら泣いた。拓海は「ゆるすぎた?」と聞いた。
ちがう。
帰りに駅まで送ってくれた。改札で拓海が言った。
「おれ、自分の店、やろうと思ってる。いつになるかわかんないけど。十席くらいの」
「何の店」
「決めてない。親子丼は出す」
改札を通ってから振り返ったら、まだ立ってた。手は振ってなかった。
帰りの電車は降りられた。
読み終えて、どうでしたか