八十点で出す
企画書のファイル名は「新規事業案_最終_修正3_本当に最終.pptx」だった。
三週間それを抱えていた。
スライドは二十四枚。三枚目のグラフの色が気に入らなくて、青を紺にして、紺を青に戻した。十二枚目の言い回しを「顧客体験の向上」から「お客さまの満足」に変えて、また戻した。フォントを游ゴシックからメイリオに変えて、全ページのレイアウトが崩れて、二日かけて直した。
締め切りは金曜の十時だった。
金曜の朝八時半になってもまだ直していた。九枚目の図の矢印が、一ミリだけずれている気がした。
そこに部長が来た。五十三歳、ネクタイは毎日同じ紺色。
「松井さん、例の企画書、どう?」
「あと少しです。九枚目だけ」
部長は僕の画面をのぞき込んで、しばらく黙っていた。二十四枚のサムネイルが左に並んでいる。
「これ、今何点?」
「……九十点、くらいです」
本当は九十五点だと思っていた。でも言えなかった。
「じゃあ八十点で出して」
「え」
「九十点のものを、あと一週間かけて九十五点にするより、八十点で今日出して、会議でみんなに叩かれて、来週九十点にしたほうが早い。一人で百点は取れないよ」
部長はそれだけ言って、自分の席に戻っていった。途中で給湯室に寄って、コーヒーを持って出てきた。
九時五十八分に提出した。九枚目の矢印はずれたままだった。
午後の会議で、企画書はちゃんと叩かれた。
営業の人が「三枚目のグラフ、何が言いたいのかわからない」と言った。色の話ではなかった。数字の取り方がおかしいという話で、それは僕が三週間一度も気にしていなかったところだった。
経理の人は、十五枚目のコストの計算が一桁まちがっていると言った。一桁。気づかなかった。フォントは何度も変えたのに。
九枚目の矢印について言った人は、一人もいなかった。
翌週に修正版を出した。ファイル名は「新規事業案_v2.pptx」にした。部長は「八十五点」と言って、会議にかけた。
企画は条件つきで通った。
今は、ファイル名に「最終」と書かないことにしている。v3からv4へと数字を増やしていく。今のところv7まで来た。
読み終えて、どうでしたか