創作友情約2分

屋上の鍵

高二の秋、屋上に行こうとした。

理由はいくつもあった。今思えば、どれも取り返しのつかないものじゃなかった。でもあのころはそれがぜんぶだった。

屋上への扉には鍵がかかっていた。当たり前だ。ノブを何回か回した。回らなかった。

「開かないよ、それ」

振り向いたら同じクラスの佐伯がいた。ほとんど話したことのない子。いつも髪をひとつにしばっていて、前髪が長くて、目がよく見えない。

「鍵、わたしが持ってるから」

佐伯は美化委員で、屋上の花壇の水やり係なのだと言った。ポケットから、赤いプラスチックのキーホルダーのついた鍵を出して、扉を開けた。

止められると思っていた。止められなかった。

佐伯は屋上に出ると、花壇の前にしゃがんで、ジョウロで水をやりはじめた。僕は扉のところに突っ立っていた。

「そこのジョウロ、取って。一人だと三往復かかるの」

なぜか断れなかった。ジョウロを持って、水道で水をくんで、佐伯の隣で水をやった。花壇には、枯れかけたパンジーが並んでいた。茶色くなってほとんど草みたいだった。

「これ、夏にほとんど枯れちゃって」と佐伯は言った。「でも根っこが生きてると、春にまた咲くんだって。業者のおじさんが言ってた。ほんとかどうか知らないけど」

ほんとかどうか知らないのか、と思った。

佐伯は、僕が何しに来たのか聞かなかった。水やりが終わると「明日も来てくれたら助かる。一往復で済むから」とだけ言った。

僕は次の日も行った。その次の日も。冬のあいだ、ほぼ毎日。雪が降った日に一回「今日、水いらなくない?」と聞いたら、佐伯は「……確かに」と言って二人で雪を見て帰った。

春になってパンジーが咲いた。花壇いっぱいに紫と黄色が。全部じゃなかった。三分の一くらいは、やっぱり枯れたままだった。

「半分以上、生きてたね」と佐伯が言った。

卒業式の日に佐伯に聞いた。

「あのとき、わかってたの」

佐伯は少し黙って、それから鍵を僕の手に押しつけた。赤いキーホルダーのやつ。

「わたしも一年のとき、あそこに立った。前の美化委員の先輩が、ジョウロ取ってって言った。それだけ」

僕はいま高校の教員をしている。美化委員会の顧問になったのは、自分から手を挙げたからだ。

鍵はまだ持っている。赤いキーホルダーは、色が落ちてピンクになった。

※つらい気持ちを抱えているときは、一人で抱え込まずに相談してください。「こころの健康相談統一ダイヤル」0570-064-556

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