屋上の鍵
高二の秋、屋上に行こうとした。
理由はいくつもあった。今思えば、どれも取り返しのつかないものじゃなかった。でもあのころはそれがぜんぶだった。
屋上への扉には鍵がかかっていた。当たり前だ。ノブを何回か回した。回らなかった。
「開かないよ、それ」
振り向いたら同じクラスの佐伯がいた。ほとんど話したことのない子。いつも髪をひとつにしばっていて、前髪が長くて、目がよく見えない。
「鍵、わたしが持ってるから」
佐伯は美化委員で、屋上の花壇の水やり係なのだと言った。ポケットから、赤いプラスチックのキーホルダーのついた鍵を出して、扉を開けた。
止められると思っていた。止められなかった。
佐伯は屋上に出ると、花壇の前にしゃがんで、ジョウロで水をやりはじめた。僕は扉のところに突っ立っていた。
「そこのジョウロ、取って。一人だと三往復かかるの」
なぜか断れなかった。ジョウロを持って、水道で水をくんで、佐伯の隣で水をやった。花壇には、枯れかけたパンジーが並んでいた。茶色くなってほとんど草みたいだった。
「これ、夏にほとんど枯れちゃって」と佐伯は言った。「でも根っこが生きてると、春にまた咲くんだって。業者のおじさんが言ってた。ほんとかどうか知らないけど」
ほんとかどうか知らないのか、と思った。
佐伯は、僕が何しに来たのか聞かなかった。水やりが終わると「明日も来てくれたら助かる。一往復で済むから」とだけ言った。
僕は次の日も行った。その次の日も。冬のあいだ、ほぼ毎日。雪が降った日に一回「今日、水いらなくない?」と聞いたら、佐伯は「……確かに」と言って二人で雪を見て帰った。
春になってパンジーが咲いた。花壇いっぱいに紫と黄色が。全部じゃなかった。三分の一くらいは、やっぱり枯れたままだった。
「半分以上、生きてたね」と佐伯が言った。
卒業式の日に佐伯に聞いた。
「あのとき、わかってたの」
佐伯は少し黙って、それから鍵を僕の手に押しつけた。赤いキーホルダーのやつ。
「わたしも一年のとき、あそこに立った。前の美化委員の先輩が、ジョウロ取ってって言った。それだけ」
僕はいま高校の教員をしている。美化委員会の顧問になったのは、自分から手を挙げたからだ。
鍵はまだ持っている。赤いキーホルダーは、色が落ちてピンクになった。
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