ポストの前の人
山のほうの集落を担当する郵便配達員をしている。
その集落に、一人で暮らしているおばあさんがいた。毎日、郵便受けの前で待っていた。晴れの日は折りたたみ椅子を出して。雨の日は玄関の中から。
来るのは、たいてい電気の請求書と、スーパーのチラシだった。
「今日も手紙はないかね」
おばあさんはそう言って笑った。息子さんは名古屋にいて、正月にも帰ってこないことが多いと言っていた。
ある日、私はつい言ってしまった。
「息子さんに、手紙書いてみたらどうですか」
「字が下手でねえ」
おばあさんは、一回だけ、年賀状を見せてくれたことがあった。息子さんからの、三年前の。印刷の年賀状に、手書きで「元気で」とだけ書いてあった。住所も印刷されていた。
その住所を、私は覚えていた。仕事柄、住所は一回見ると覚えてしまう。
次の日、局で官製はがきを一枚買って、書いた。
「突然すみません。お母様の地区の郵便を担当している者です。お母様は毎日、郵便受けの前で待っておられます。一言でいいので、はがきを出していただけないでしょうか」
出していいのか、三日迷った。職務の範囲を完全に超えている。ばれたら、たぶん怒られる。
出した。
十日後、おばあさん宛てにはがきが届いた。
「母さん 元気か こっちは元気だ また書く」
三行。私はそれを、いつもより少しゆっくり郵便受けに入れた。おばあさんは折りたたみ椅子から立ち上がって、はがきを見て、「あら」と言った。それから、何回も表と裏をひっくり返した。
それから、息子さんのはがきは月に一回くらい届くようになった。おばあさんも返事を書くようになった。下手な字で。私が集配するので、ポストの中で息子さん宛てのはがきを見ることになる。宛名の字がふるえていた。
一年後、息子さんが仕事を辞めて、集落に戻ってきた。
配達の途中で呼び止められた。
「あのはがき、あなたですよね」
ばれていた。
「母には言ってません。まあ、言わなくても、たぶん気づいてますけど。消印、うちの近所の局じゃなかったんで」
私は、郵便局員なのに、消印のことを忘れていた。
「ありがとうございました」と息子さんは言った。私は「職務外なので、聞かなかったことに」と言った。
息子さんは、今も同じ家からはがきを出す。同じ家に住んでいるのに。宛名は母親。差出人は自分。
「おふくろが、郵便受け開けるのを楽しみにしてるんで」
その分、私の配達が一件増えている。
読み終えて、どうでしたか