ベリーショート
美容院を開いて十年目、常連の真由美さんから予約が入った。
四十代。いつも肩までのボブで、座った瞬間からしゃべりはじめる人だった。夫の愚痴、姑の愚痴、飼っているフェレットの愚痴。フェレットにまで愚痴があった。
その日は、座ってもしばらく黙っていた。
「来週から抗がん剤なんだって。髪、全部抜けるって」
ハサミを持った手が止まった。
「だから、抜ける前に、思いっきり短くしてほしいの。どうせなくなるなら、自分で決めた長さで終わりたい。一回やってみたかったのよ、ベリーショート。夫が絶対似合わないって言うから、できなかったの」
鏡越しに見た真由美さんの目は、少し赤かった。でも口元は笑っていた。
私は、切った。十年で一番、集中した。頭の形、耳の位置、首の長さ、つむじの向き。どこまで切ればこの人に一番似合うのか。途中で一回、切りすぎたかと思って冷や汗が出た。
終わって、鏡を見た真由美さんは、
「え、うそ。似合う。ちょっと、夫に写真送る」
と言って、スマホで二十枚くらい自撮りした。夫からの返事は「誰?」だったらしい。
半年後、真由美さんがまた来た。帽子をかぶっていた。治療が終わって、髪が生えてきたのだという。
帽子をとると、一センチくらいの、ふわふわした髪が頭を覆っていた。赤ちゃんの髪みたいだった。
「まだ切るほどじゃないんだけど。最初の一回は、ここでって決めてたから」
切るところなんて、ほとんどなかった。えり足と耳の周りを、数ミリ整えただけ。五分。
「ありがとう。これで、なんか、始まった気がする」
「お代は」
「払う。千円でいいよね?」
うちのカットは四千五百円だ。まあいいか、と思った。
一年後、髪は肩まで伸びた。
「ボブに戻す? それとも、またベリーショート?」
真由美さんは鏡の中の自分を、右から、左から見て、長いこと考えた。
「迷うなあ。迷えるの、いいね」
それから、急にフェレットの話を始めた。フェレットが夫のスリッパをかじった話。十五分続いた。
結局、その日はボブにした。
読み終えて、どうでしたか