最後に覚えた漢字
夜間中学の教師になって三年目。四月に、梅子さんが入学してきた。七十二歳。
戦後のどさくさで学校にほとんど行けず、読み書きがよくできないまま大人になった人だった。入学の理由を聞いたら、
「孫に、手紙書いてみたいの。LINEじゃなくて」
と言った。LINEは使えるらしい。音声入力で。
梅子さんは、クラスで一番熱心だった。一番早く来て、一番遅く帰った。ひらがなから始めて、カタカナ、漢字。覚えるのは遅かった。「ぬ」と「め」を三か月まちがえた。でも休まなかった。
私のほうは、教師としてはまだ全然だめだった。梅子さんの質問に答えられないこともあった。「先生、なんで『は』って書くのに『わ』って読むの」。調べて次の週に答えます、と言って、ちゃんと調べていったら、梅子さんはもう忘れていた。
「先生も一緒に勉強すればいいのよ」と梅子さんは言った。
三年たって、卒業式。
卒業証書を受け取ったあと、梅子さんは壇上で、手紙を読んだ。孫への手紙。自分で書いたもの。原稿を持つ手が、ぶるぶるふるえていた。
「ゆうくんへ
おばあちゃんは 七十五さいで 中学校を そつぎょうしました
字を かけるようになって いちばん さいしょに かきたかったのは ゆうくんの なまえでした でも 『悠』という字が むずかしくて 二年かかりました
べんきょうは いつからでも できます
でも できれば わかいうちに してください おばあちゃんは 二年かかったから」
会場のうしろで、小学生の男の子が「二年もかかったの」と大きな声で言って、みんな笑った。梅子さんも笑った。
式のあと、梅子さんが私のところに来た。
「先生、三年間ありがと。先生も、勉強になった?」
「なりました。梅子さんに一番教わりました」
本当だった。
梅子さんは、かばんから漢字練習帳を出した。三年分の。最後のページに、私の名前が書いてあった。一画ずつ、ものすごく丁寧に。私の名前には、画数の多い字が二つある。
「先生の名前、最後に覚えたの。いちばんむずかしかったから」
見たら、一か所、点が一個足りなかった。
言わなかった。
読み終えて、どうでしたか