実話実話約2分

砂漠に水を引いた医師

中村哲は、福岡出身の医師だった。

一九八四年、パキスタンのペシャワールに赴任した。ハンセン病の治療のためだった。やがて活動はアフガニスタンにも広がり、山岳地帯に診療所を開いて、貧しい人々を診療し続けた。

二〇〇〇年、アフガニスタンを大干ばつが襲った。

畑は干上がり、家畜は死に、村から人が消えていった。診療所には、汚れた水を飲んで下痢や感染症にかかった子どもたちが、次々と運ばれてきた。多くの子どもが、治療の甲斐なく亡くなった。

中村は、気づいた。

薬では、この人たちを救えない。必要なのは、清潔な水と、食べ物だ。

医師である中村は、井戸を掘り始めた。しかし、井戸だけでは足りなかった。畑を潤し、人々が故郷で暮らしていけるようにするには、大きな川から水を引くしかなかった。

中村は、用水路を作ることを決めた。

土木工学の知識は、まったくなかった。中村は独学で勉強した。故郷・福岡を流れる筑後川の、江戸時代に作られた堰を研究し、現地の人々が自分たちの手で維持できる工法を選んだ。

重機は少なかった。多くの作業は、現地の人々がシャベルと手押し車で行った。中村も、自ら重機を操った。

二〇〇三年に始まった工事は、何年も続いた。洪水で壊され、また作り直した。

完成した用水路は、全長二十五キロ以上に及んだ。砂漠だった土地に水が流れ込み、緑がよみがえった。畑が戻り、村に人々が帰ってきた。数十万人の暮らしを支える土地になったと言われている。

二〇一九年十二月、中村は現地で車で移動中に銃撃を受け、亡くなった。七十三歳だった。

アフガニスタンの人々は、深く悲しんだ。

用水路の補修は、中村とともに働いた現地の人々が引き継いでいる。中村が選んだのは、重機がなくても、村の人がシャベルで直せる工法だった。

※史実をもとに再構成しています。

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