十五個目のボール
隣の颯太くんが庭にボールを入れるようになったのは、あの子が小学二年の春からだから、もう三年になります。
最初のは青いゴムボールで、うちの菊の鉢に当たりました。菊はね、主人が生きていたころから育てている嵯峨菊で、秋になると細い花びらがほうきみたいに開くんです。主人は盆栽もやっていたけど、あっちは私には無理で、全部よその人にあげてしまいました。一鉢三千円で持っていった人が、あとで十万円で売ったと聞いて、主人が生きてたら怒ったでしょうね。いえ、笑ったかもしれない。あの人はそういうところがあったから。
何の話でしたっけ。そう、ボール。
私はそのボールを返しませんでした。颯太くんのお母さんが謝りに来たときに、「次に入ったら没収ですよ」と言ったんです。半分冗談でした。私の子供のころは、よその庭にボールが入ったら怒鳴られて、取りに行くのも命がけでしたから。昭和三十年代の荻窪ですよ。コロッケが一個十円のころ。
お母さんは熊本の人で、うちに来るといつも「すんません、また入ったですか」と言いました。あの「ですか」がかわいくてね。
没収したボールは、台所の勝手口のところのみかん箱に入れておきました。軟式の野球ボール、サッカーボールの小さいの、テニスボール、スーパーボール。一個入るたびに颯太くんが門の外から「すみませーん」と言って、私が「没収」と言うと、あの子は「えー」と言って帰る。それだけのことを三年やりました。
颯太くんのお父さんの転勤で、一家が熊本へ越すことになったのは八月の終わりに聞きました。お母さんのご実家の近くなんですって。
引っ越しの前の日の夕方、颯太くんが一人で門のところに立っていました。背がずいぶん伸びていて、はじめは誰かと思った。
「あの、ボールって」
「はいはい」
私はみかん箱を持ってきて、門のところに置きました。あの子は箱の横にしゃがんで、一個ずつ出して並べはじめたんです。青いゴムボールがいちばん先に出てきて、あの子は「これ一個目のやつだ」と言いました。よく覚えてるもんです。私は、そんなのは覚えてませんでしたよ。
並べ終わると、颯太くんは指をさして数えました。二回数えました。
「十四個」
「そうね」
「十五個あったはずなんだけど」
あら、と思いました。この子、ちゃんと数えてたのね。
「一個たりない。黄色いやつ。ゴムの」
私は思い出しました。去年の秋、その黄色いのが嵯峨菊の鉢を一つ割ったんです。主人が最後に株分けした鉢でした。私はあの日、黄色いボールを燃えないごみに出しました。月曜日の朝に。
颯太くんは私の顔を見上げていました。お母さんに似て、眉が太いんですよ。
「あれはね」と私は言いました。「おばちゃんの鉢を割ったやつ」
「割ったの?」
「割ったの」
「……ごめんなさい」
「いいのよ。三年も前の話じゃないし」
言ってから、それじゃ慰めにならないなと気がついて、二人でちょっと笑いました。
あの子はボールを十四個スーパーの袋二つに分けて入れて、両手にさげて帰っていきました。途中でテニスボールが一個こぼれて、うちのほうへ転がってきたの。
「それは、没収」と私は言いました。
読み終えて、どうでしたか