柱の傷
実家を取り壊すことになって、前の日に兄と二人で最後の片づけをした。
家具はもう業者が持っていって、がらんとした居間に、台所の柱だけが残っていた。柱には、鉛筆とボールペンの線がたくさん引いてある。背比べの跡。
線の横に、父の字で名前と日付が書いてあった。「たかし 五才」「まみ 三才」。兄が「たかし」、私が「まみ」。
「写真撮っとこうか」と私が言って、スマホを構えた。
兄は、柱の前にしゃがんで、じっと線を見ていた。
「なあ、これ見て」
兄が指さしたのは「たかし 十二才」の線だった。その下に「たかし 十一才」の線がある。二つの線は、四センチくらい離れていた。
「十一から十二で四センチ。普通じゃない?」
「いや、その下」
「たかし 十才」の線は、十一才の線のたった一センチ下だった。そして、十才と十一才の線のあいだに、うっすら消しゴムで消したような跡があった。
「おれ、十才のとき、これ自分でちょっと上に書き直した」
「は?」
「まみが、九才のとき、おれの八才を抜いただろ。それがくやしくて。十才のとき、測ってもらったあと、夜中に消して、二センチ上に書いた」
そういえば、私は小学校の中学年までは兄より大きかった。すっかり忘れていた。
「で、十一才のとき、本当はそんなに伸びてなかったから、また困って、そこも一センチ上に書いた。だから十二才のとき、ほんとは六センチ伸びてんのに、四センチしか伸びてないことになってる」
兄は、なぜかものすごくまじめな顔で説明した。四十五にもなって。
「お父さん、気づいてたんじゃない」
「気づいてたと思う。十才の線の横、父さんの字で書いてあるだろ」
よく見ると、「たかし 十才」の横に、ほんとうに小さく、「?」と書いてあった。
私は吹き出した。兄も笑った。がらんとした家に、笑い声がやたら響いた。
父は、兄の不正に気づいて、でも書き直させもせず、叱りもせず、「?」だけつけていたのだ。父らしい。何でも口に出さない人だった。
写真を撮った。柱全体と、十才の線のアップと、「?」のアップ。
帰りぎわ、兄はポケットからボールペンを出して、柱のいちばん上のほう、今の自分の頭の高さに線を引いた。
「たかし 四十五才」
それから、その横に、自分で「?」をつけた。
「なんで」
「たぶん、ちょっと縮んでる」
次の日、柱は家ごと取り壊された。兄は立ち会わなかった。私が行った。重機が台所のあたりをつかんだとき、写真を撮ろうかと思って、やめた。
読み終えて、どうでしたか