創作家族約2分

半分の歩幅

父が私を息子だとわからなくなって、半年になる。

散歩だけは続けている。朝七時、家から川沿いの公園まで往復四十分。父は私を、市役所から来た人だと思っているらしい。いつも「お忙しいところすみませんね」と言う。

私は訂正するのをやめた。最初の月は毎日訂正して、毎日父を混乱させた。

「この道は、息子とよく歩いたんですよ」

父がそう言ったのは、河原の菜の花が咲きはじめた朝だった。

「息子さん、いらっしゃるんですね」と私は言った。自分の話を他人のように聞くのにも、慣れた。慣れたことにしている。

「ええ。小さいころは歩くのが遅くてねえ。すぐ抱っこって言うんです。重たくて」

覚えていない。

「だから歩幅をね、半分にして歩いたんです。そうすると、ちょうど並ぶんですよ。あいつ、それで得意になって、自分が速く歩けてると思ってる」

父は笑った。入れ歯がかちっと鳴った。

「息子さんは今、どうされてるんですか」

父は少し考えてから、川のほうを見た。

「さあ。忙しいんでしょう。東京で、なんとかっていう会社にいます。名前が長くてね、覚えられない」

私の勤め先は、たしかに名前が長い。カタカナが十一文字ある。

「たまには帰ってきてほしいですね」と父は言った。

私は毎日帰っている。半年前から、東京の会社は休職して、実家にいる。

何か言おうとしたけれど、言うことがなかった。黙って歩いた。

気がつくと、私は父より半歩前を歩いていた。父の足は、去年より明らかに遅くなっている。私は歩幅を縮めた。半分くらいに。

並んだ。

父はそれに気づかないまま、「今年は菜の花が早いねえ」と言った。

「そうですね」

「息子が小さいころはね、ここでよく摘んで、家内に怒られたんですよ。勝手に摘んじゃいけないって」

「そうなんですか」

「そうなんです」

私たちは同じ速さで、公園の入口まで歩いた。

#泣ける話 #大切な人に会いたくなる話

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