ワゴンRで行く
娘の式の前の晩、俺は駐車場で車を洗っていた。
平成十六年式のワゴンR。色はシルバーということになっているが、屋根のあたりはもう白っぽく粉をふいている。走行距離は二十一万キロを超えた。去年の車検で、整備工場の兄ちゃんに「次は正直きついっす」と言われた。
別に洗う必要はなかった。式場へはハイヤーを頼んである。向こうのお父さんが手配してくれた、黒い、長いやつだ。
ただ、家の中にいると落ち着かなかった。女房は着付けの確認で電話ばかりしているし、娘は娘で友達とビデオ通話をしていて、俺の居場所がなかった。
バケツに水をくんで、スポンジでこすった。後ろのドアの下に、へこみがある。娘が高校のとき、自転車で突っこんできた跡だ。「ブレーキが遅れた」と言っていたが、あれはスマホを見ていたんだと思う。叱ったら三日口をきかなかった。
ワックスまでかけ終わったころ、娘が玄関から出てきた。サンダルをつっかけて、パックを顔に貼ったままだった。
「なにしてんの」
「見りゃわかるだろ」
「明日乗らないのに」
「乗らないから洗ってんだよ」
自分でも何を言ってるのかわからなかった。娘はしばらく車の周りをぐるっと歩いて、へこみのところでしゃがんだ。
「これ、まだ直してないんだ」
「金かかるからな」
娘は指でへこみをなぞった。パックのせいで表情がわからなかった。
「ねえ、明日さ、これで行っちゃだめかな」
「ハイヤー頼んであるだろ」
「ハイヤーは帰りに乗る。行きはこれ。お父さん運転して」
「ドレスが入らねえよ」
「入るよ。後ろ倒せば」
入らなかった。当日の朝、女房と式場のスタッフに怒られながら、娘は後部座席に横向きに座り、ドレスの裾を助手席まで伸ばして、ヘッドレストに頭をぶつけながら乗った。俺はエンジンをかけた。一発でかかった。珍しいことだった。
国道十七号は混んでいた。信号で止まるたびに、隣の車の人がこっちを見た。娘はずっと笑っていた。途中で一回、「このシート、昔の匂いする」と言った。何の匂いかは言わなかった。
式場の車寄せに着いたとき、黒いハイヤーの運転手が、いったい何事かという顔でこっちを見ていた。
娘を降ろすのに五分かかった。最後に娘は、へこみのあたりをぽんと叩いて、式場の中に入っていった。
ワゴンRは、その年の冬に廃車にした。書類にハンコを押すとき、女房が「写真撮っとけばよかった」と言った。
撮ってある。式場のカメラマンが、車寄せで勝手に撮っていた。ドレスの裾が助手席からはみ出していて、俺は運転席で、なぜかハンドルを両手でつかんだまま前を見ている。
娘はそれを、新居の玄関に飾っている。
読み終えて、どうでしたか