山羊のメイ
うちに山羊がいたのは、私が小学校の二年から六年までのあいだです。昭和三十四、五年くらいから。長野の、上田のほうの在所でね。今はもう新幹線が通ってますけど、あのころは信越線の、汽車でした。
山羊の名前はメイといいました。メエメエ鳴くからメイ。つけたのは私です。父は「山羊に名前なんかつけるな」と言って、最後まで「山羊」としか呼びませんでした。
メイは乳をしぼるために飼っていたんです。牛乳なんて、あのころはうちみたいな家では毎日は飲めなかった。一本十四円だったかしら。十五円だったかしら。山羊の乳は、ちょっとくさいの。獣のにおいがする。でも温めて砂糖を入れると飲めるんです。弟が体が弱かったから、その弟に飲ませるために、父が隣の村から買ってきた。
しぼるのは私の仕事でした。朝、学校に行く前。冬は手がかじかんで、メイの乳首がつかめないの。メイは、私がへたくそだと後ろ足で桶を蹴るんです。何回蹴られたかわからない。桶がひっくり返って、土間が真っ白になって、母に怒られて。怒られるのは私なのよ、メイじゃなくて。
でも、学校から帰ってくると、メイは柵のところで待っていました。待ってたのか、ただそこにいたのか、わかりません。山羊ですからね。頭を撫でると、角のつけねを私の手にぐりぐりこすりつけてくる。かゆかったんだと思いますよ。ほかに理由はないと思う。
六年生の春、修学旅行がありました。行き先は日光。積立金が、たしか千二百円。うちは払えていませんでした。担任の先生が家に来て、父と土間で話していたのを覚えています。父は、帽子を手で握ったまま、ずっと頭を下げていました。
その週のうちに、メイがいなくなりました。
朝、しぼりに行ったら柵が空っぽで。父はもう畑に出ていて、母は「売った」とだけ言いました。どこに売ったか、いくらで売ったか、聞いても言いませんでした。弟はもう元気になっていたから、乳はいらなくなっていたんです。それは、そうなの。理屈は、わかるの。
日光には行きました。東照宮で、眠り猫を見ました。小さくて、がっかりしたのを覚えています。こんなに小さいの、って。友だちとおそろいで、ペナントを買いました。三角の、布の。
帰ってきて、柵を見に行ったら、柵も片づけられていました。杭の穴だけ、四つ残っていて。
そのあと、父にメイのことを聞いたことは、一回もありません。父も一回も言いませんでした。父は平成の初めに亡くなって、そのときも、何も。
この前、孫を連れて動物園のふれあいコーナーに行ったんです。山羊がいて、孫がこわごわ手を出したら、山羊がその手に角のつけねをこすりつけてきた。孫は「かゆいの?」と聞きました。
さあね、と言いました。おばあちゃんにもわからないのよ、って。
ペナントは、まだ押し入れのどこかにあるはずなんだけど、見つからないんです。
読み終えて、どうでしたか