よしこ
祖父のセキセイインコのピーちゃんが、窓から逃げた。
祖父は八十三で、祖母が死んでからは、ピーちゃんとだけしゃべって暮らしていた。ピーちゃんは言葉をいくつか覚えていて、「オハヨ」「ピーチャン」「オカエリ」、それから、なぜか電子レンジの「チン」の音をまねした。
祖父は毎日、近所を探した。迷子のチラシを作った。ピーちゃんの写真の下に、祖父の字で「黄緑。人なつこい。チンと鳴く」と書いてあった。チンと鳴くインコ。
一週間、見つからなかった。
十日目、三キロ先の町の女の人から電話があった。
「ベランダにインコが来て。チラシを見たもので」
祖父を車に乗せて、その家に行った。女の人が鳥かごを持ってきた。中に、黄緑のインコがいた。
でも、わからなかった。セキセイインコは、みんな似ている。
祖父が鳥かごに顔を近づけた。
インコは首をかしげた。それから、はっきり言った。
「ヨシコ」
祖父が止まった。
よしこは、祖母の名前だった。
祖母が生きていたころ、祖父は一日に何十回も呼んでいた。「よしこ、お茶」「よしこ、新聞」「よしこ、メガネ知らんか」。ピーちゃんはそれを聞いて覚えていたらしい。祖母が死んでから、祖父はその名前を一回も口にしていなかった。家族の誰も、ピーちゃんがその言葉を知っているなんて思っていなかった。
「ヨシコ」とピーちゃんはもう一回言った。それから「チン」と言った。
女の人が、なんと言っていいかわからない顔をしていた。
祖父は鳥かごを抱えて、帰りの車の中でずっと膝にのせていた。ピーちゃんはときどき「ヨシコ」と言った。そのたびに祖父は、「おう」と返事をした。一回だけ、「なんだ」と言った。
家に着くと、祖父は鳥かごを仏壇の前に置いた。
「よしこ。ピーが帰ってきたぞ」
ピーちゃんは「チン」と言った。
読み終えて、どうでしたか