桜の木の下の家族写真
うちには、毎年同じ場所で撮る家族写真がある。
近所の公園の、一番太い桜の木の下。長男が生まれた年から、毎年四月の第一日曜。三脚を立てて、セルフタイマーで。
一枚目は、夫とわたしと、生まれたばかりの長男。二枚目は、よちよち歩きの長男が、わたしの足にしがみついて泣いている。三枚目で、長女が増えた。
セルフタイマーは十秒で、夫はいつもボタンを押してから走ってきて、毎回ちょっとぶれていた。三十年以上、ぶれていた。練習すればいいのに。
三十五枚目を撮った年、夫が病気になった。
三十六枚目、夫は車いすだった。ボタンを押しに行けないので、初めて長男が押した。長男は走ってきて、ぶれた。親子だった。
三十七枚目を撮る前に、夫は死んだ。
四月が来た。撮りに行く気になれなかった。夫のいない写真を撮っても。
長男と長女が、それぞれの家族を連れて、実家に来た。
「写真、行こう」と長女が言った。
「お父さんおらんのに」
長女は、三十六枚目の写真を出した。車いすの夫が、ぶれた長男の横で笑っている。
「お父さん、これ撮ったあとで言いよったよ。来年はおらんかもしれんけど、撮って。桜の木になって見とくけん、って」
「そんなこと言いよった?」
「言いよった。そのあと、『いや、桜の木は無理か。毛虫がつくし』って言いよった」
言いそうだった。
その年、十人で写真を撮った。三脚を立てて、長男がボタンを押して、走ってきた。ぶれた。
写真ができあがって見たら、桜の枝が、ちょうど右上から、みんなの上にかぶさるみたいに伸びていた。
今年で四十枚目になる。
アルバムの最初と最後を並べると、桜の木は、ほとんど変わっていない。ちょっと太くなっただけ。下にいる人たちは、ずいぶん変わった。
ボタンを押した人は、毎年ちゃんとぶれている。
読み終えて、どうでしたか