貸出カードの名前
中学の図書室の本には、まだ紙の貸出カードが挟まっていた。
借りた人が学年と名前と日付を書く。わたしは毎週図書室に通っていて、そのうち気づいた。わたしが借りる本のカードには、いつも同じ名前が、わたしのすぐ上に書いてあった。
「3年 木下」
ファンタジーも推理小説も、ちょっと変な詩集も。わたしが借りたいと思う本を、いつも一週間くらい前に誰かが借りている。
最初は気持ち悪かった。そのうち、木下さんが借りた本は当たりだ、と思うようになった。貸出カードを見て「木下」があったら借りる。本の選び方としては、ちょっと間違っている気がする。
それが一年間続いた。会ったことはないし、三年生の教室まで見に行く勇気もなかった。
三月の卒業式の少し前に借りた本のカードには、「3年 木下」の横に小さく何か書いてあった。
「いつも次に借りてくれてありがとう。この本の最後の一行が、一番好き」
向こうもわたしに気づいていたのだ。わたしはその場で最後のページを開いた。
「そして彼女は、まだ読んでいない本がこんなにあることを、少しうれしく思った」
たいしたことない一行だった。正直に言うと。木下さんのセンスに初めてちょっと首をかしげた。
それでも返事は書いた。図書委員の子に頼んで、木下さんに渡してもらった。「私も、いつも楽しみでした。でも、最後の一行は、その前のページのほうが好きです」。
返事は来なかった。卒業式の日に在校生の席から卒業生の列をながめたけれど、どれが木下さんなのかはわからなかった。
十年たって、わたしは小さい出版社で編集をしていた。
ある日、新人賞の応募原稿が回ってきた。図書室の貸出カードで顔の知らない先輩とやりとりする女の子の話で、作者名は木下だった。
最後のページの最後の一行は
「そして彼女は、まだ読んでいない本がこんなにあることを、少しうれしく思った」
だった。
その前のページは、十年前に読んだあの本のその前のページより、ずっとよかった。
原稿の最後にはメモがはさんであった。
「『その前のページのほうが好き』と言われたので、十年かけて書き直しました」
読み終えて、どうでしたか