口パクの人
中二の合唱コンクールの練習中に、音楽の先生に言われた。
「本番は、口パクにしてもらえる?」
わたしは音痴だった。ひどい音痴だった。どんなに練習しても音がはずれて、しかも声が大きいので、周りの子までつられる。先生はクラスのためだと言った。それはそうだと思った。
「はい」と言った。
クラスの指揮者は、学級委員の男子だった。その話を聞いた彼は、放課後、音楽室にやってきた。
「口パクはなし」
「でも、わたしが歌うと、みんなずれるよ」
「じゃあ練習しよう。毎日」
彼はピアノが弾けた。それから毎日、放課後の音楽室で、彼がピアノで一音ずつ鳴らして、わたしがそれを真似した。ドー。ドー(ちょっと低い)。ドー。ドー(かなり高い)。何百回も。
一か月たっても、あまり変わらなかった。わたしは泣いた。
「もういいよ。口パクにする」
彼は鍵盤から手を離して、言った。
「合唱って、うまい人だけでやるもんじゃないだろ」
かっこいいことを言ったつもりだったらしいけど、そのあと、
「……たぶん。知らんけど」
と付け足した。自信はなかったらしい。
本番。わたしは歌った。小さい声で。でも口パクじゃなく。
やっぱりはずれた。自分でもわかった。
結果は学年で最下位だった。
教室に戻ると、誰もわたしを責めなかった。最下位は、たぶんわたしのせいだけじゃなかった。男子のパートが全体的にやばかった。
彼は黒板に大きく書いた。
「二年三組 三十四人 全員合唱 最下位」
最下位まで書かなくてもいいのに、と誰かが言った。
わたしは今も音痴だけど、カラオケは嫌いじゃない。
彼とは、去年結婚した。披露宴で、二人で歌わされた。わたしの音程は相変わらずで、彼のピアノは、わたしに合わせて途中で転調した。一回じゃなくて、四回くらい。
余興のあと、彼の友達に「あれ、わざと?」と聞かれた。
彼は「わざとじゃない」と言った。それはうそだと思う。
読み終えて、どうでしたか