はじめての床屋
土曜の午前十時五分。「バーバー・ミヤケ」の前に青い自転車が止まる。ヘルメットを脱いだ男の子が、ガラスのドアの前に立つ。四年生くらい。右手は半ズボンのポケットに入ったまま出てこない。
ドアの横でサインポールが回っている。赤と白と青の縞が、上から下へ流れていく。男の子はその一本を目で追って、下の端で見失い、また上から次の一本を追う。
店の中では白衣の店主が新聞を読んでいる。客はいない。ラジオから競馬の予想が流れている。
男の子がドアを押す。カウベルが鳴る。
「いらっしゃい」
「あの」
「うん」
「切ってください」
「はいよ。どうぞ」
店主がいちばん奥の椅子を回す。男の子は座る前にポケットから千円札を二枚出して、店主に差し出す。二枚とも四つ折りで、角が湿っている。
「お金はあとでいいよ」
男の子は札をポケットに戻す。戻してから、もう一回出して膝の上に置く。
ケープが首に巻かれる。鏡の中で、前髪が眉毛の下まで垂れている。
「どうする」
男の子は口を開けて、閉じる。
「ふつうで」
「ふつうね」
「あ、でも、耳は出して。あとうしろは刈り上げないで。前は眉毛の上、くらい。あと、ここのとこはねるんで」
男の子はケープの下から手を出して、頭のてっぺんの右側を押さえる。反対の手はケープの下で札をにぎったままだ。
店主は鏡越しにうなずく。
「ふつうね」
はさみの音がする。前髪がひと束、ケープの上をすべって床に落ちる。男の子は目をつぶる。ラジオが「本命は三番」と言っている。店主は途中で一度だけ手を止めて、くしで右側のてっぺんを何回かなでつけ、また切りはじめる。
二十分後、店主が手鏡をうしろに回す。耳が出ている。刈り上げてはいない。てっぺんの右側はまだはねている。
「ここ、はねてる」
「それは生え方だから。おじさんにも無理」
男の子はそこを手で押さえる。離す。はねる。
レジで千八百円。男の子は湿った札を二枚出して、百円玉を二枚受け取る。二枚をポケットに入れて、手をポケットの上から一回たたく。
ドアの前で男の子が振り返る。
「次も、これで」
「はいよ」
外に出て、男の子はヘルメットをかぶる。かぶってから脱いで、ガラスのドアに映った頭を見る。右側がはねている。もう一回かぶる。自転車のスタンドを蹴って、こぎ出す。
サインポールが回っている。
読み終えて、どうでしたか