写ルンです、残り四枚
正直、写ルンですって、名前しか知らなかった。
大学二年の夏休みに、一人で千葉の銚子まで行った。理由は特になくて、強いて言うなら、地図で見たら関東のいちばん右の端っこだったから。友達を誘ったら全員バイトだった。俺もバイトはあったけど、シフトを先輩に代わってもらった。お礼にぬれ煎餅を買って帰る約束をした。
犬吠埼の灯台の前で、おばあさんに声をかけられた。
「すみません、写真、撮ってもらえます?」
いいですよって手を出したら、渡されたのが、緑と黄色の紙の箱だった。最初、お菓子かと思った。
「これ、どこ押すんですか」
「上の、ボタン」
「画面は」
「画面はないのよ」
後ろにいたおじいさんが、声を出して笑った。帽子に「銚子電鉄」って刺繍してあった。たぶん今日買ったやつ。値札の糸がまだついてた。
のぞく穴がある。のぞいた。ちっちゃい。灯台が、ちっちゃい窓の中に入ってる。もうちょい右です、とか言って、押した。カシャ、じゃなくて、パチ、みたいな音がして、それで終わりで、確認する画面もないから、撮れたのかどうか、本当にわかんない。
「あの、撮れました? これ」
「巻いて」
「え」
「右のギザギザ、巻いて」
おじいさんが親指でくるくるする真似をする。やってみたら、ジジジジって鳴って、途中でがちっと止まった。小窓の数字が「4」から「3」になった。
「念のため、もう一枚」とおばあさんが言った。念のためって、どうやって確かめるんだろうと思った。確かめられないから念のためなのか。そりゃそうか。
二枚目を撮って、巻いた。「2」。
返そうとしたら、おじいさんが「あんた、一人?」と聞いてきた。
一人です、って言った。言い方がちょっと小さくなった。灯台に一人で来る大学生なんて、まあ、いるだろ、夏休みなんだし、いくらでも。
「じゃあ、あんたも撮る」
「いや、いいっす」
「残り二枚だから」
理屈がよくわからなかったけど、おじいさんはもう俺の手からカメラを取ってた。灯台の前に立たされた。ポーズがわからない。ピースは違う気がした。結果、気をつけになった。
「笑って」
笑ってるつもりだった。パチ。ジジジジ。
おばあさんが横からのぞきこんで、「あんた、指、入ってない?」と言った。
「入ってない」
「前は入ってたじゃない。小豆島のとき」
「あれは、入ってた」
そこから二人で、しばらく小豆島の話をしていた。何年前の話か知らないけど、けっこうもめてた。オリーブがどうとか、フェリーの時間がどうとか。俺は灯台の前で、気をつけのまま待ってた。
最後の一枚は、三人で撮ることになった。通りかかった自転車の男の人に、おばあさんが頼んだ。その人は箱を見て「うわ、なつかし」と言って、慣れた手つきで撮って、巻くところまでやってくれた。数字が「0」になった。
「これ、現像って、どこでやるんすか」
「カメラのキタムラ」とおばあさん。
「あそこ、まだあるか」とおじいさん。
「あるわよ」
それから、おばあさんが「写真、送ろうか」と言った。
住所を教えるのは、なんか違う気がした。いい人たちなのはわかる。わかるけど、知らない人だし。それで「大丈夫です」って言った。大丈夫ってなんだよ、と自分でも思った。
おばあさんは「そう」って言って、バッグからボールペンを出して、写ルンですの裏の白いところに何か書いた。ちょっと見えた。
「灯台 学生さん」
名前を聞かれなかったのが、あとになって少し引っかかった。聞かれても、下の名前しか言わなかっただろうけど。いや、名字だったかも。わからん。
帰りの銚子電鉄で、先輩のぬれ煎餅を買い忘れたことに気づいた。仲ノ町の駅で降りて、一本あとの電車にした。
読み終えて、どうでしたか